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小柳徹さん最後の出演番組

1:小川寿夫 :

2015/01/06 (Tue) 18:56:47

本日、図書館へ行きまして小柳徹さんの事故前後の当時の新聞記事を、見てみました。「ヤング720」最後の出演は、昭和44年3月19日(水)ゲスト・ズーニー 梶光夫 司会・小柳徹 小山ルミ と、新聞の番組欄には書いてありました。交通事故死についての記事は、当時の産経新聞・昭和44年3月25日(火)に、酔払い・居眠り・猛スピード 小柳徹さん(テレビタレント)死ぬ と見出しがありまして、<水銀灯に激突、炎上してスクラップと化したした小柳さんの車>と書かれた写真が掲載されてました。新聞記事には、”24日午前二時三十分ごろ、第三京浜下り線で、テレビタレント、小柳徹さん運転のスポーツカーが、道路わきの水銀灯に激突、車は炎上、小柳さんは車外に放り出され近くの病院に運ばれたが、頭を強打し、出血多量でまもなく死んだ”今なら、シートベルトやエアーバックが装備されてますが、当時は、シートベルトすらなかったのでしょう。ほぼ即死の状態だったようです。酒に酔い居眠りしスピードの出しすぎ100キロ以上のスピードがでていたようです。記事最後のほうで、”小柳さんのマネージャーの話によると二十三日よるNTVの新番組「あっぱれ!親バカ「のビデオどりを終え同十時すぎ同局を出て名古屋から上京中の両親と食事をし、両親を車に乗せて横浜の家にいったん帰った。その後また東京に向かったが、第三京浜にはいったところで父親にプレゼントする万年筆を渡すのを忘れたことに気ついた。このため上野毛の出口に出て再び第三京浜にはいって両親のところに急ぐ途中ではなかったか、という”内容でした。最後の出演番組{あっぱれ!親バカ}は、昭和44年4月3日(木)夜9:00に日本テレビで放送されました。高橋圭三さん司会の番組で新番組第一回目のご両親と出演したのが最後になってしまいました。この番組の収録した二十三日の十時過ぎその四時間後の二十四日午前二時三十分亡くなる。切なくなりますね。
2:小川泰文 :

2015/01/06 (Tue) 19:45:17

私が調べた限りでは、ヤング720最後の出演は昭和44年3月20日(木)ゲストは梓みちよさん。
徹さんは、事故のあった日次の出番であった26日、27日分の収録のため(収録は24日だと思われます)東京へと向かっておられます。
新聞には酔っ払いと掲載されておりましたか。週刊誌では酔っ払いと掲載されてなかったですが、残念です。
あっぱれ親バカは2組の親子をゲストに司会が高橋敬三さん、光さん父娘。もう一組はどなただったのでしょうか。放送されたのは、昭和44年4月2日(火)です。この番組が徹さん最後のテレビ番組です。
昭和44年10月1日まで放送されています。
私は事故のことについてはあまりふれなかったですが、いろんな記事を調べてみようと思います。
最後の番組で気になることがあります。
それは、ドラマ春よこいが昭和44年3月28日に放送されています。(最終回)最終回に出演されていたかどうかわかりません。
3:小川寿夫 :

2015/01/10 (Sat) 06:54:35

小川泰文さんのおっしゃるとうり、小柳徹さん最後のヤング720出演は、昭和44年3月20日(木)ゲスト・梓みちよ、バニーズ 司会・小柳徹、小山ルミでした。当時の新聞テレビ欄で調べました。間違えて失礼しました。ヤング720って、朝の生番組じゃなかったんですね!てっきり朝の情報生番組だと思っていました。今なら、パソコンや、携帯アイホンやスマホですからね。それ以外は、ガラ携ですから隔世の感であります。あっぱれ親バカの小柳徹さんともう一組の親子も当時の新聞テレビ欄で調べたところ、”いまでもちょんまげをゆっている、風変わりな埼玉県の理容師、磯部三郎さん妻一枝さんと、長男・俊邦さん、二男・弘美さん四人の親子が出演する。と、なっていました。最後のの番組の、ドラマ”晴よこい”の、最終回での小柳徹さんの出演の件ですが、当時の新聞番組欄を見ても小柳徹さんの名前を見つけることはできませんでした。
4:小川泰文 :

2015/01/10 (Sat) 08:09:41

有難うございます。いろいろ調べていただいたのですね。新たな情報有難うございます。
次の記事では新たにわかったことをお知らせいたします。
5:還暦ハーレーおじさん:

2017/02/19 (Sun) 12:59:06

毎日720を見ていました。亡くなった翌日(?)720で「小柳徹さんが亡くなりました」と放送したことを覚えております。びっくりして母親を呼びに行ったことも思い出しました。720ではビッキーの「それなあに?」というコーナーもあり杉並の善福寺公園でよく撮影していました。
もう50年近くなるんですね。
6:モモタロウ :

2017/02/19 (Sun) 18:26:04

亡くなられた24日が録画撮りの日でした。25日、26日が出番の日ではありましたが、残念ながら出演ができません。
見ておられたのですね。皆さんの心の中には生きておられるのでしょう。ありがとうございました。
7::

2017/02/21 (Tue) 00:24:04

みなさんが、こんなにも小柳徹について思い出し、調べて下さっている事に感謝です。
私はまだ小学生でしたし、真実の詳細は分かりませんが、身内の立場から見て、週刊誌なる物がどれだけデタラメ?いい加減に話しを作りあげていたのかを知った時でした(苦笑)
早朝に事故を知らされ、泣きながら登校したのを忘れません。
その後、実家のチャペルに徹の遺体が安置され、藤間紫さんやいろいろな芸能界の方が弔問に駆けつけられていたこと…
葬儀は私の実家チャペルと渋谷の教会で2回行われたのですが…渥美清さんが弔辞を下さった事もはっきり覚えています。
8:モモタロウ :

2017/02/22 (Wed) 16:59:53

ありがとうございます。
渥美清さんとは、1967年(昭和42年)7月2日の泣いてたまるか、先生週刊誌にのるで共演されています。
この作品は再放送されております。録画して保存しております。
DVDにもなっています。
私が所有しております週刊誌では、徹さんが通っておられたのは関東学院となっておりました。
9::

2017/03/03 (Fri) 11:40:10

別のメッセージにお答えしましたが、徹は関東学院大でした。
小川さん、凄いですね!徹のいろいろな物を持っていらして…
実は私達の手元には残っていません。
日本へ行った時に、探してみようと思います。
10:モモタロウ :

2017/03/03 (Fri) 13:23:34

ありがとうございます。
週刊誌の記事もどこまで信じてよいのかわからないときがあります。いろんなことを総合してそうであってほしいとの思いから書かさせていただきました。私がここまでしてこれたのは皆さんの思いからでしょう。コメントをされておられなくてもわかるような気持ちがいたします。来年の御命日にはお参りさせていただきます。

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